(C’est une version japonaise d’un article « Les trois femmes (ma mère, la mère et la grand-mère paternelle d’Arnaud) ».)
前回の記事で、私の母の性格に少し触れました。今回は、そんな私の母とアルのお母さん、そしてアルのハイカラなおばあちゃんを紹介したいと思います。簡単にまとめると、超保守的な母(と私)の対極にいるのが、とても考え方の進んでいるハイカラおばあちゃん。その間でバランスの良いのがアルのお母さんです。
同世代の母たち。面白いのは、育った場所や、家庭環境が少し違うだけ。それなのに生き方や考え方が全然違うことです。まず、そんな2人の母たちを紹介していきたいと思います。
そしておまけで、アルの父方のスーパーハイカラおばあちゃんも紹介します。フランス映画に出てくるような、典型的な独立したフランス人女性でとても面白い人です。実はこのおばあちゃんが、一番進んだ考え方の持ち主だったりします。85歳を超えているのにスマートフォンを使い、写真を撮ったり、メッセージを送ったり。気持ちはまだまだ若いとても魅力的な女性です。
目次 (Table des matières)
母たち
私の母は、田舎で3人兄弟の一番上として育ちました。決して裕福ではなかったけれど、母親(私からみたおばあちゃん)が専業主婦なのが当たり前だった時代。高校を卒業後、地元で就職。結婚を機に寿退社し、東京に移り住み、パートで家計を支えながら子育てをしてきました。(今は珍しくなった寿退社ですが、1986年に男女雇用機会均等法が施行された事を考えると、当時は当たり前だったのかもしれません。)
一方アルのお母さんは、地方都市で2人兄弟の末っ子として育ちました。アルのお母さんは、「父親の収入だけで十分に暮らしていけたと思うけど、母親も定年まで働いていたの。」と言っていました。フランスでは、もう女性の社会進出が一部では進んでいたのかもしれません。そして、高校卒業後、地元で就職。アルは事実婚で生み育て、後にシングルマザーとなり、女手一つでアルを育て上げました。(アルの父親もアルに2週に1回は会い、養育費も支払っていたようです。)
2人の共通点は、あまり旅行をするタイプではなく、するとしても国内旅行というところ。(経済的理由も大きいとは思います。)ただ、海外県をもっているフランスは、ヨーロッパにあるフランス以外の国もフランスなので、全く違う気候、全く違う人種、全く違う文化の国に行っても国内旅行だったりします。(カリブ海に位置するグアドループやマルティニークもフランスの海外県)アル曰く、海外領土になると、独立色が強くなってちょっと外国に来た感じもするそうですが、海外県は、通貨もユーロで、社会保険も適用される等、外国にいる感じはしないのだとか。アメリカに詳しくないけど、アメリカ本土とハワイの関係に近いんじゃないかなと言っていました。
一方日本はというと、縦に長いので北と南では気候も違いますし、多くの島があります。(北海道、本州、四国、九州、沖縄以外にも6847の離島があり、その416島には人が住んでいます。)しかし、これらの島々は地理的に近い所に位置しているので、気候や民族もそこまで大きくは変わらないような気がします。
国内旅行ひとつとっても、ここまで違いがあります。こういったところも、考え方に影響を与えているのかなと思いました。
養子に対する考え方は正反対でした。母は、テレビなどで養子縁組のドキュメンタリー番組を見ると、よく言っていました。「私には養子を育てるのは無理。本当に自分の子供のように愛せないと思うし、もし何か問題があったら、自分を犠牲にしてまで守ってあげられないと思う。そういった責任を取れないから、自分たちの子供が出来なかったら、子供は諦めようとしていたの。あんたたちは、生意気で手もかかって大変だったけど、自分がお腹を痛めて生んだ子だから育てられた。」私も全く同じ考え方です。私たち超保守的母娘は血縁を大事にします。
アルと子供の話をした時、アルは「もし自分たちの子供ができなかったら、アフリカから男の子をアジアから女の子を養子として迎え入れたい。」とスラスラと答えました。自分と違う人種の子を何の抵抗もなく迎え入れたいとは、と本当にビックリしたのを覚えています。同じ日本人の養子も考えられない私とは偉い違いです。後ほど、しっかりと説明して養子は諦めてもらいました。
しかしもっと驚いたのは、この話をアルのお母さんにした時です。「あら偶然!私もアフリカから男の子を養子にしてもいいかなと思ったことあるのよ。この事一度も話した事ないのに。不思議ね!」と言ったのです。「自分の子と養子の子をどうやったら同じように愛せるの???」というのが私の心の声ですが、知らず知らずのうちに子供は親の背中を見て、何かしら吸収して育っているものなのかもしれません。
アルのお母さんは、いつも一歩下がって周りに目を配り、自分の意見を主張するというよりは、相手の話に耳を傾けるタイプの物腰の柔らかい女性です。私と意見が合わなくても、決して否定せず、意見を押し付けてくる事もありません。そんな穏やかさと柔軟性を兼ね備えた母親になりたいなと思っています。
スーパーハイカラおばあちゃん(アルの父方のおばあちゃん)
当時のフランスで、どの程度普通だったのかはわかりませんが、学生時代に授かり婚をし、子供を育てながら、弁護士資格をとったという超高学歴キャリアウーマンです。中卒の私の祖父母とは対称的ですが、アル曰く、フランスの大学は学費がほとんどかからないので、そんなに裕福でなくても通えたとのことです。
途中で仕事は辞めたみたいですが、弁護士として働き、車を乗り回し、お酒とタバコをこよなく愛した女性です。正に、当時の女性の社会進出の象徴とでもいうかのような生活をしていました。勝手にココ・シャネルみたいな人だなと思っています。(シャネルと違って、おばあちゃんは今もおじいちゃん一筋です。)
外交的で社交的。友達も多く、外国人の友達や、外国に住む友達もいます。海外にもよく旅行していたようで、視野が広く考え方がとても柔軟なおばあちゃんです。外国人の友達も多いので、その子や孫がバイリンガルないしマルチリンガルというケースもよく知っています。私たちの娘ちっちのバイリンガル教育に一番積極的なのも、実はこのおばあちゃんです!
海外に嫁いだ日本人女性が、義理の家族から「私たちにわからない言葉で子供に話しかけるな!」というようなことを言われたという記事を読んで、少し心配していましたが、杞憂に終わりました。「ちゃんと日本語で話しかけないとダメよ。」と言い「ちゃんと日本語で話しかけてる?」と定期的に確認してくるのもこのおばあちゃん。「これは日本語でなんというの。」と常に好奇心いっぱいです。この年齢になって、知らない言語をハネつけるどころか、学ぼうという積極的な姿勢。ニュースで日本を見るたびに、日本のことを話題にしてくれて、私の国にも関心を持ってくれています。私の家族にはいないタイプのこのおばあちゃんからは、行動力とポジティブ思考と好奇心の大切さを学びました。ちょっとお節介すぎるのが玉に瑕ですが、歳を素敵に重ねているおばあちゃんです。
まとめ
育った環境が与える影響はやはり大きそうです。しかし、ちょっとだけ自分の考え方や行動を変えれば、視野を広げたり、柔軟性を持つことは出来そうな気がします。自分の考えに固執しないで、ほんの少し視点を変えて物事を見てみるようにすると、見えてくる世界が変わるという事を学んだからです。たとえ少しずつでも、居心地の良い環境を出て行く事で、思いがけない出会いや発見があり、ネガティブ思考から抜け出せるという事も学びました。
好奇心を持って外に出ていく行動力、違いを受入れる柔軟性、価値観の違う人たちと付き合う社交性。これらをちょっとずつ身に付けていこうと心に誓いつつ、居心地の良い自分の世界にどっぷりと浸っている今日この頃です。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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